承認欲求、という言葉は、たぶんSNSが注目をあつめるようになってからよく目にするようになったと思う。
- いいねがほしい
- 自分の投稿を見てほしい
とか、そういう気持ちがSNSを利用していると出てくるもんだから仕方ない。その気持ちとうまく付き合う必要があるのはそう。
でも、承認欲求て自然なことだし、しっかりコントロールできれば良いものだと考えてる。その根っこにある気持ちというかモチベーションは、
- あの人に認めてもらいたい
- 自分のことを見てほしい
とかかな。これ自体は普通の感情だと思う。娘ができてから、娘の成長を見ていてそう思うようになった。すなわち、娘の承認欲求は、娘の成長のきっかけになっているのだ。少なくとも僕にはそう見える。
僕は心理学?などの専門家でもないからここで書いてることは自論に過ぎない。N=1の僕の経験だけで話している。ただ、
- あの人に自分の能力を認めてもらいたいな
- 僕の作ったもの、みんなに使ってほしいな
- 僕の書いた論文、読んでもらえないかな
とか、普通に思う。プライベートやソフトウェアエンジニアとしての仕事や社会人になってから大学に入り直して、など様々な場面で僕の承認欲求は顔を出した。そして、その度に承認欲求をトリガーに目標目指して頑張っていた。
こう聞くと承認欲求がそんなに悪いものではないと思えないだろうか。
他方、承認欲求が暴走するとどえらいことになるのもわかる。おそらく昨今話題になるほとんどのケースがこれに該当するのだろう。
非常に難しい話だと思う。僕も娘や身近な人にはうまくこの暴走が起きないようにケアできればと考えている。が、いかんせんSNSというものは承認欲求をうまいこと刺激するようにできているものだから難しい。悩ましいわほんと。
では、どう承認欲求と付き合うと良いのだろうか、という点について、今僕が考えているのは承認欲求のベクトルを変えるということ。すなわち、他人から承認されるという方向から、自分から承認される、という方向にどこかでそのベクトルを変えるということ。
他人に評価されることを重視するよりは、自分と比べることにフォーカスしようね、という風に考えている。例えば、
- 自分は以前より成長してるだろうか
- 自分が目指してる自分と比べて、今はどうか
- 自分の目標達成に向け、継続的に努力できてるか
など、そういう方向性。そういう承認欲求との付き合い方。よくある話ではあると思うが、承認欲求の話はこれと関係していると思う。これを承認欲求と解釈して良いかは分からんけども、話の誤魔化し方としては妥当なように思う。個人的にはね。
言うは易く行うは難し。
僕も含めて生活しているとどうしても他人と比べてしまう。これはSNSに限らず、世の中というか社会が常に他人と比べることを強いてくるのだから難しい。
"競争は必要でしょ?"
と言われれば、まあそうだね、と思うわけだが、その塩梅も難しい。
SNSの登場でこの承認欲求との付き合い方は以前にも増して難しくなっている。僕も含め娘の今後の成長にも大きく関係してくるだろう。僕自身のこともそうだし、娘のことも支援してあげたいなと思う。終わり。