久しぶりに夢中になって小説を読んだ。最近だと成瀬は天下をとりに行くを読んだんだが、漫画のようなストーリーで、たしかにおもしろいのだけど、小説を読んだら感覚には個人的にはならなかった。もちろんそれはそれでその本の良さではある。
さて、あのこは貴族について。この小説を読んでいて面白かったのは以下2点。
- 地方から都会に出てきて代々都会で住む資産家を知る登場人物の描写
- 代々都会で住む資産家の生活の描写
1点目の"地方から都会に出てきて代々都会で住む資産家を知る登場人物の描写"について。これは僕自身の体験と重なる部分があり、登場人物たちの心情が僕の経験とも重なることが多く、学生時代のことを思い出して懐かしく感じた。
僕は地方で育ち、地元の進学校を出て、大学は同志社大学へと進んだ。同志社大学は関西ではやはり知名度が高く、いわゆる内部進学組も多い。そしてそういった内部進学組は僕のような大学から入ってくるメンバーとはどこか違う雰囲気があり、はじめの頃は全く理解ができなかった。
書籍内では慶應大学を舞台にそういった描写があり、懐かしいなと当時の僕の感じたことが描かれていた。まあ同志社大学で僕が見ていたものよりももっと大きな差が実際にはあるようだが、僕が感じたものと近しいのは間違いない。
東京の真ん中の、裕福な家庭に生まれ、大事に育てられたお嬢さま。十八歳の美紀が、日吉キャンパスの中庭で見たあのまばゆい内部生たちのような存在に、自分もなってみたかったのだ。
物語の中心にこういった憧れがあるのは間違いない。
"内部進学組はなんか違うんだな"
そういう感覚は僕も経験して、見てきたんだけども、なぜ違うのか、という点についてはそこまで深く考えることはなかった。
彼らの出立ちや振る舞い、言動は僕がこれまで見てきたものと異なることが多かった。おそらく国公立のどこかの大学へ行ったらそういった経験はしなかっただろう。今となってはそういった世界を見ておいてよかったと思っている。
"同志社だからそういう子は多いだろうな"
僕の父は当時そんなことを言っていた、と母から聞いた。父は地元から一人東京へ行き、慶應大学へ通ってた。その経験からそういったことをポツリと言ったのだろう。
すなわち、僕がそういう世界を知ることになるだろう、と思っての発言だったと今更ながら気づく。もっとはっきりとそういったことはその時に教えて欲しいものだが、そういうことは言わない父だから仕方ない。
話を戻すと、そういった知らない世界へ憧れ、東京を知っていく登場人物たちの描写は僕が学生の頃、さらには就職で東京に出てから感じていたこととも重なった(僕の場合は東京に憧れる、ということはなかったけども、経験や感じたことという意味では重なることが多かった)。
「まあとにかく、あたしからすれば東京が地元なんて、羨ましい限りだけどね。東京に出てくる若者って、必ず大変な目に遭うもん。あたしなんて親の援助もなかったから、お金もなくてかなり悲惨な感じで。どうにか社会でやっていけるようになるまで、すごく時間がかかった。だから最初から東京にいて、そういう苦労をしなくて済むなんて、めちゃくちゃ羨ましいよ」
2点目の"代々都会で住む資産家の生活の描写"について。これはシンプルにそういう世界があるんだ、というのが新鮮だった。東京で代々住む資産家のリアルな描写に引き込まれた。
どんな描写か、というといくつかあるんだけども、一つは都内にある様々な老舗ホテルへタクシーでサクッと出かけたり、大事な家族や親族のイベントを決まってそういった場所で行うことの描写だろうか。そんなことが日常だから、大学生の身であっても友人とはそういった場にサクッと行ってしまう。そういった描写も面白いし、実際そうなんだろうなと納得する。
同い年の子が当たり前みたいな顔でタクシーに乗って高級ホテルに行き、英国式の三段ケーキスタンドいっぱいに盛られたスイーツをつまみつつ紅茶を飲みながら、午後いっぱいだらだらとお喋りに興じて、それで会計のときに四、五千円ぽんと払うのだから、まさにカルチャーショックである。
そして生々しいけども相続に関する描写。読みながらそういった描写はさすがになく終わるかなと思ってたら終盤でしっかり描かれていて、なるほどと思った。以前何かの記事で読んだ相続税の支払いに苦しむ話とも重なった。
一等地にこれだけの土地を所有するために毎年数千万単位の固定資産税を払っており、いくら資産家といえども預貯金は目減りしていく一方で、億単位の相続税をポンと払えるような体力はもはや青木家にない。そのうえ、伯父の政治活動にかなりの金をつぎ込んでおり、現金を作るためにすでに財産の大部分は切り崩されている。
そしてもう一つ、もしかするとこれが非常にリアルというか、よくこれを言語化できたな、とう印象なんだが、東京でずっと育ってきたからこそ、東京から出ることが怖いという会話。
「わたし、自分の意志でテリトリーを広げるってことをしてこなかったので、東京って言っても、ずっと同じ、すごく狭いエリアで生きてるんです。怖いから行かない街もたくさんあるし。子供のころから行き慣れてる場所だけでぬくぬくしてて」
さて、そんなわけで楽しく本書を読むことができたんだが、その終わり方も個人的にはとても心地よかった(ネタバレになるので記載はしない)。その根底にあるのは、本書の中で終盤に向けて述べられる以下のような主要人物たちの価値観によるのかもしれない。
中学時代からなに一つ変わらない人間関係の、物憂い感じ。そこに安住する人たちの狭すぎる行動範囲と行動様式と、親をトレースしたみたいな再生産ぶり。驚くほど保守的な思考。飛び交う噂話、何十年も時間が止まっている暮らし。同じ土地に人が棲みつくことで生まれる、どうしようもない閉塞感と、まったりした居心地のよさ。ただその場所が、田舎か都会かの違いなだけで、根本的には同じことなのかもしれない。
こういったことに気づかず、"せまい"東京(貴族が住む東京、て感じかな)だけで生きていることに気づかない人物を中心に描かれると後味の悪い話になったんだろう。そういう終わり方にできたのかしれないけど、それはそれでそういう貴族が没落していくリアルとそのことに気づく30代を中心に描いているからのストーリー展開なのかなとも感じた。
映画化もされてる、ということなので見てみようかな。