masayuki5160's diary

滋賀県大津市に住むソフトウェアエンジニアの雑多ブログ

母がクモ膜下出血になって回復するまで

去年の夏、母がクモ膜下出血を発症しました。
意識を失い倒れたというようなことではないのですが、救急車で搬送しそのまま緊急手術となりました。

現在は後遺症もなく元気になり、以前と同じように生活をしています。
本記事ではそのことについてまとめておきたいと思います。

普段から健康に気を使うのはもちろんですが、不測の事態というのは起きると思います。
私の友人、知人、このブログの読者に限らず多くの方の参考になれば幸いです。

事前メモ

  • 僕は31歳、僕の母は57歳
  • 僕はソフトウェアエンジニアで医療知識はない
  • 出来事の一部の時間は正確ではありませんが、時系列はあってます
  • 話は僕からの視点で書いてます

1日目:クモ膜下出血が発症、緊急手術

6:00

  • 父から携帯に連絡が入る。
  • 母がひどい頭痛と吐き気で朝から様子がおかしいとのこと。
  • 父は仕事にどうしても行く必要があり、代わりに見て欲しいということ。

7:30

  • 実家へ到着(僕の自宅から実家へは電車を使い片道40~50分程度)
  • 父から母の様子を聞く。30分おきに計測した血圧は上が160〜200となっているものの、今は少し落ち着いて150程度になっていた。(実家には血圧計測機器があります。)
  • もちろん母は意識あり。だいぶしんどそうだが話はできる。母は座敷の居間に横になった状態。
  • 父は出社するが10時すぎには多分戻ってこれるはず、ということでしばらく僕がそばにいるということで話をする

8:00頃

  • 父が家をでる

8:30

  • また頭が痛くなってきたので、念のため母が血圧を測って欲しい、というので血圧を計測。上が150程度だった。

8:40

  • 母がトイレに行く。歩くのがしんどそうだが自分でゆっくり歩いていく。
  • トイレから戻って座敷に横になると吐き気があるらしく、洗面器を手に取る。

8:46

  • 父から電話があり、様子を伝える。
  • 父は予定していた10時ごろには戻ってこれそうになく、昼過ぎ頃になりそうだということ。
  • 母の様子を伝え、救急車を呼ぶことを伝えた。父は僕の方で母をかかりつけの病院まで送ってもらえれば、ということだったが、今の状態の母を僕が車に乗せていくこと、そして明らかに母の様子が異常なことから救急車を呼ぶべき、と僕の方で判断。

8:47

  • 119へ電話
  • 母の様子、血圧などを伝える

8:50

  • 救急車はすぐに到着
  • 隊員の方に容体を伝え母を送り出す。
  • 母は意識あり。
  • 隊員の方は容体を聞いてくも膜下出血の可能性を考えたのか、手足を動かせるかを母に問診(隊員の方の手を握れるか、腕をあげられるか、膝を起こせるか)
  • この時、隊員の方が血圧を測ると確か180程度といっていた
  • 僕は救急車には同乗せず、後から行くと伝えた

9:20

  • 車で病院に到着し待合室でまつ

9:30

  • 医師(脳外科医の先生含む)から説明を受ける(僕のみ)
  • 母はクモ膜下出血であり、緊急の手術が必要とのこと
  • 再出血をした場合は非常に危険で亡くなる方もいる、が、社会復帰する方もいるとのこと。CTを見ながら丁寧に説明頂く。
  • 手術の承諾書、輸血などの書類にサインをする。
  • 説明の後、母のいる救命センター?の所に案内される。少しだけ母と会話をし、また待合室でまつ。
  • 母が亡くなる可能性については理解したが、全く実感としてはなく、冷静に対応を進めないと、と考えていた

9:45

  • 父に電話
  • 医師からの説明、状況を伝える
  • 急がなくていいので落ち着いてこちらにきて欲しいと伝えた

11:00頃

  • 麻酔医の先生からお話を聞き、全身麻酔などについて話をされ、承諾書にサインをする
  • 母の所に案内される。"大丈夫だよ"、と僕と会話をしながら麻酔が入っていったらしく、母の意識がなくなる。

11:30頃

  • 父が病院に到着
  • 麻酔が入った状態だが母の所に案内され、これから手術に向かうとのこと
  • 東京にいる弟にも電話をして状況を説明。仕事があるだろうが、できればきて欲しい、と伝える。

12:00頃

  • ICUの待合室に案内される
  • 手術が終わるまで待機

12:30

  • 交代で食事に行くことにする。
  • しっかり食べとかないとよくないと思いちゃんと食べる。そこまでお腹は減ってなかったがハンバーガーなら食べたいと思い、マクドナルドへ。
  • 頭が疲れていたからなのかわからないが、無性に散歩をしたくて40分以上はぷらぷら歩いていた

14:00

  • ICUの待合室に戻る
  • 父が食事にいく

14:30

  • 父が食事から戻る。病院の食堂でうどんを食べたとのこと。

15:30頃

  • 弟が病院に到着(東京から)

15:45頃

  • 手術が終わったと看護士の方がくる
  • 脳外科医の先生から説明を受け、再出血もなく無事に手術は終わったとのこと。
  • 今後はしばらくICUに入ってもらい、合併症が出ないよう注意して処置をしていくということだった。
  • 先生から、母はもう麻酔もきっているので話せると思う、と聞く

16:00頃

  • ICUで手術後の母と面会
  • おそらく全身麻酔後ということもあり、朦朧としているが僕らの呼びかけには応じることができ、手を握ると握り返してきた
  • 手足も弱々しく(麻酔のせい?)ではあるが動かせていた
  • まだ母の意識が朦朧としている状態だったこともありICUはすぐに出た

17:00頃

  • 父、僕、弟は帰宅(実家)
  • 僕は体は疲れていないものの、眠気があったり頭がひどく疲れている気がしたので自分の家に戻ってしっかり休むことにする
  • 何かあれば病院から父に連絡がある、という状態

19:00頃

  • 自宅に戻る
  • 食欲はあるのでちゃんとご飯は食べる
  • クモ膜下出血についてネットで情報をみる(この時初めてネットを使って情報収集をした。それまでは不安になるだろうと思い、あえてネットの情報に触れないようにしていた)

22:00頃

  • いつもより早く就寝

2日目:母と面会

14:30

  • ICUにいる母に面会(父、僕、弟の三人)
  • しっかり意識もあり、顔色が良い。普段通り会話ができる状態で安心する
  • 手足も問題なく動く状態。母曰く、非常に退屈だとのこと。

15:00

  • 30分ほど話をしていたが、母に徐々に疲れが見えたため帰ることにした
  • 翌日から開始する予定のリハビリについて作業療法士の方から説明を受ける

3日目:リハビリ開始

この日は父に母の面会を任せる。 また、弟は仕事があるため東京に戻る。

17:00頃

  • 父に電話をし、母の様子を聞く
  • 2時間ほど会話をし昨日より元気、ということ
  • リハビリも始まっており、父も同席した。車椅子にうつるリハビリなどをしていた。
  • 時間を持て余している様子で退屈そうだが、やはり疲れやすいみたいだ、とのこと

4日目:リハビリ継続

この日も父に面会を任せる。

17:00頃

  • 父から電話があり、母は昨日より元気な様子
  • リハビリは継続しており、1日2回ほど?しているようだとのこと
  • リハビリの様子を見ていても昨日よりも体の調子は良い(車椅子への移動も昨日よりスムーズらしい)
  • 合併症が起こる可能性があるためか引き続きICU内にはいるが少し落ち着いた場所にうつったとのこと

5日目:面会にいく

14:30

  • ICUの個室にいる母に面会
  • 元気があり普通に会話ができる
  • リハビリを数分行うのに立ち会う

6日目:父が面会にいく

  • ICUから病棟がうつる(一般病棟ではないが、ICUよりは症状が軽い?患者向け)
  • 面会時間の制限が少し軽くなる

14日目:一般病棟に移る

  • 体力は落ちているが普通の人と同じように生活はできる状態
  • リハビリはだいたい1日1時間程度?

今回のことで強く感じたのは救急車を呼ぶかどうかの判断が難しいということです。
クモ膜下出血を発症した場合、再出血をする前にはじめの処置が完了するかがまずポイント何だろうと思います。が、今回の母のような場合、意識があることもあり、救急車をよんでいいのか判断に迷っていました。特に父と母は大雑把にいうと"迷惑にならないか"ということを考え、119へ電話をすることをためらっていました。(安易に救急車を呼ばないで、というような話は最近色々なところで聞きますから、それがあってのことでしょう)

色々意見はあるとは思いますが本当にその場にいると判断が難しいのはよくわかります。
まさかクモ膜下出血だなんて誰も思っていなかったのですから。

じゃあ対策としてどうしたらいいんだろう、と考えてはいますが僕としての結論はまだ出ていません。 ちなみに僕が119へ電話する、と決めた時、もちろん後で"この程度で119へ電話しないで欲しい"と言われる可能性はあるな、と思っていました。それでも僕が119へ電話をしたのは、

  • 母が危険な状態なのかどうかを僕だけでは判断しきれなかった
  • 救急隊の方に怒られたら素直に謝罪しよう、と思っていた

この2点につきます。
僕にとっては1点目が最悪のケースに繋がる可能性が高く、何とか対処したいというわけです。それならば、僕が謝罪するだけで済むならいくらでもしようと考え119へ電話をしました。

そして結果的にはこの時の判断がよかったのかもしれません。

以上です。
普段こういった記事は書かないのですが、こういった情報があまりネット上になく、どなたかの参考になることもあるだろうと思い、まとめることにしました。普段から健康に気をつけるのは当然ですが、不測の事態は起こるものだと思います。その時にどういった対応がいいのか、その後どういったことがおきていくのかなどの参考になればと思います。