先日、共著者として執筆した論文が個人的には良い評価をもらえやった嬉しかった。論文書きたいけど仕事柄なかなか悩ましいこと多いので、筆頭でなくてもこういう形でコミュニティへ貢献し、一緒にこういう取り組みを楽しめる人が増えること自体が良かった。
さて、そんなわけでフィードバックを元に修正作業をせっせと進めている。
今回、一緒に執筆した筆頭の方は論文書くのはじめて。といっても情報系の学部は卒業しているし、実務経験も十分なのでなんとでもなると思い、全力でサポートするつもりで執筆ははじめた。
初稿を見たときの印象は、
忙しいのによく書けたな、
しかもちゃんと書けてる、
適切ぽいサーベイがされている、
だった。
もちろん、論文の展開をはじめ、読み手の意識、論理の飛躍、とかいろいろと数多くの指摘の必要はあった。
だから、その後の修正は、恩師たちが僕にしてくれたように全力でより良い論文になるようにした。
こんな気持ちで恩師たちは僕のこと見てたのかなーとそんなことを感じた。なんだか感慨深い気もしたけど、へんな勘違いをしてはいけないな、と謙虚にしっかり論文と向き合おうと何度か自分に言い聞かせた。
それにしても素直に驚いていた。
僕自身がはじめて論文書いた時よりもよく書けてるな、と思ったから。
もちろん、僕がすごいとか自惚れているわけではなくて、
はじめての分野であるにも関わらずサーベイがよくできている、
内容そのものは手直しは必要かだけど、方向性は良い、
みたいなことがほとんど事前に相談もしてこれてないのによくできてる。
特にサーベイが出来すぎてると強く感じた。
AIがないとき、いつも恩師たちがほんの数秒で読むべき論文を探し出し、その内容をさっと把握する様子を見て驚いたものだった。僕が数日懸命にやっても的外れなサーベイに終わることだってあるのに、だ。すげー、といつも驚いていた。
わかってはいたけど、AIを使い論文書くことでこんなに差が出るのか、というのを自分でも体験するとやはり驚く。
その後、無事にアクセプトされ、良い評価がもらえたので、フィードバック踏まえよりよくしようとしてるわけだが、改めて論文読み直していると、たしかにわかりやすくて客観的に見てそんなにわるいものではないなと感じる。
自画自賛してる、とかそういう話ではなくて、AIがない時に良い論文を書くことの難しさというのは何回書いてもさっぱりわからなかったのに(僕が優秀でないというのもあるが)、はじめての論文でここまで書けるか、というのにAI様の力をまざまざと見せつけられている、というのが言いたいこと。
でも、それはそれで良いというか、ちゃんと伝えるべきことやそもそも研究内容がしっかり価値があって書き手が理解して伝えているからこの仕上がりであるなは言うまでもない。
そんなわけで、書き手としてはAIがあることによる効果を今さら実感した。
一方でこういう大きな課題があるのも把握している。
査読は「ほぼ破綻」している――生成AI時代の研究成果公開を、もう一度設計し直す:JSAI2026 企画セッション「生成AI・プレプリント時代における研究成果公開の再設計」開催報告
https://note.com/infosta/n/nb717c9c3c3d0
僕自身は研究コミュニティへ仕事柄なかなか深く入り込めておらず、貢献度合いも低いのだけども、僕ができることとしては誠実にしっかり論文を書くことのみ。
ということでこれからも頑張ろ。

↑記事と関係ないが、こないだ妻が次女と外で遊んでた時に見つけたという珍しい虫。ミドリセイボウ?というらしい。