masayuki5160's diary

滋賀県大津市に住むソフトウェアエンジニアの日常

“子供のため”という魔法の言葉ときどき免罪符

先日、ある大きな決断をしようとして、その理由を

 

"子供のためだから"

 

としている自分にふと気づいた。

どんな決断だったかという内容はプライベートなことなので割愛するが、今振り返っても、僕視点では"子供のため"ということを理由に決断することは妥当に思う。

ただ、それがほんとだろうか、とふと考えるようになった。

 

"子供のためだから"という理由で僕と同じように決断をしている親は多いと思う。多くのケースでそれは良い決断なのだと思う。

でも、これは僕自身が子供の時の経験なのだが、その"子供のためだから"という決断が子供本人にとっては重荷、あるいは呪いのようになっていることがある。

以前こんな本を読んだ。

 

 

この本は、簡単に言うと精神的に未熟な親との付き合い方について述べている本。

いるよねそういう人、という軽い話ではないと思っていて、多くの家庭で大なり小なりあるんじゃないかと思っている。僕自身も親との関わり方は悩んだ。だから、この本は参考になったし心が軽くなった。

 

"子供のため"と考えてやってきたこと、すなわち期待値を親が用意して、それに応えるために頑張る子供。

全ては否定しないし、ガードレールとしての役割に徹する場合は問題ないというかむしろ必須と思う。

ただ、その負の側面に気をつけなければいけない。"子供のため"と言いつつ、親の期待値を押し付けているケース。子供が楽しんでいる時は良いが、そうでなくなるとそれはたちまち呪いとなる。

僕の親は否定するだろうが、僕自身はその呪いで苦しんだ経験がある。今となればそれが故に多くの失敗をして学びがあったことも事実だけどしんどかった時期があった。すごく嫌だった。

 

さて、そんな僕が親となってとある決断をするときに"子供のため"を理由にある決断をする。

 

これはほんとに子供のためなのだろうか、

"子供のため"、と都合よく決断してないか、

 

と考えるようになった。

結果、冒頭でお話ししてたある決断は見送った。"子供のため"という理由である決断をする予定だったが、

 

"子供のためになる側面もあるけど、僕の人生を生きてない気がする"

 

そう考えて、決断を見送った。

将来、この決断を見送ったことで娘たちに何か言われるかもしれない。でもその時は

 

"父さんの人生を楽しむことを優先した、ごめん"

 

とでも言おうと思う。なんかかっこいいし。

 

"子供のため"を理由に僕が自分の人生を楽しむことを諦め、その代償を自分の子供に託すのはまさに呪いっぽい。この先も都度丁寧に考ないとな。気をつけないと気づいたら特級呪霊になってそうだ。終わり。

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↑プリキュアを一緒に見てる長女と次女。次女はまだ0歳なので内容理解してないが、長女と一緒にいたいから横にいてプリキュア見てるだけの図。