最近、長女がNetflixの子ども向けアニメ「リドリー・ジョーンズ」にハマっている。
タイトルを見て、同世代の人なら「インディ・ジョーンズ」を連想すると思う。実際にどういう背景でこのタイトルがついたのかは知らないし、調べてもいないけれど、おそらく何かしら影響を受けているのだろうと思っている。
アニメ自体はとても分かりやすくて、ディズニーっぽい感じでミュージカル形式になっている。
主人公のリドリーという女の子は博物館で生活していて、その博物館にいる動物たちは夜になると動き出す。さらに、展示されている絵の中に入って冒険をするというような設定もある。
いろんなキャラクターが出てきて、それぞれ個性があり、娘も楽しそうに観ている。
このアニメを見つけたのは、Netflixの中で娘と一緒に見る英語音声付きのアニメを探していたときだった。いくつか試してみた中に「リドリー・ジョーンズ」もあったけれど、そのときは特に興味を示さなかった。
その頃は、「ギャビーのドールハウス」をずっと観ていた時期だった。
でも、しばらく経ってから、なぜか急にリドリー・ジョーンズを観るようになった。謎である。
そんな生活をしていると気になることもある。
「アニメ見過ぎじゃないか」
ということ。
僕自身は目の疲れの点は気にするものの、基本的にはこの点については心配はしていない。そのあたりの話は以前も記事にした。
もちろん意見はいろいろあると思うが、アニメやゲームのようなコンテンツでも、ストーリーの中から学べることは多い。歌を通じて言葉に触れることもできる。僕自身も娘と一緒に観ていて、そう感じることが多い。書籍「学力」の経済学 (ディスカヴァー携書)を読んでもそういった意見が根拠とともに書かれていてそうだよな、と以前思ったことを覚えている。
しかし、教育経済学者である私が、自分の親しい友人に贈るアドバイスは、それとは正反対のものです(根拠については第 2章でご紹介します)。
・ご褒美で釣っても「よい」
・ほめ育てはしては「いけない」
・ゲームをしても「暴力的にはならない」
そんなわけで最近は娘と一緒にNetflixを見ていることが増えたわけだが、Netflixに対するイメージが変わってきた。
というのも、僕としては以前は「技術力の高い会社」というイメージが強かった。自分がソフトウェアエンジニアということもあって、どうしてもそういう見方をしていた。
でも、こういったオリジナルの子ども向けアニメを実際に観てみると、コンテンツの質の高さにも気づかされる。技術だけでなく、こうした作品を作る「コンテンツの会社」なんだなと、あらためて感じるようになった。いずれにせよすごい会社だ。
以上、最近は娘と一緒にリドリー・ジョーンズ見てます、のお話しでした。おわり。

↑こういう感じで椅子に座ってNetflixをよく見ている。長女がNetflix見てると後ろで次女がつかまり立ちしてるのが日常。