masayuki5160's diary

滋賀県大津市に住むソフトウェアエンジニアの日常

カメラを意識しはじめた娘(3歳)の成長と、ふとした時に感じる寂しさ

最近、上の娘がカメラに撮られることにすっかり慣れてきた。

慣れたというよりも、撮られることを「意識する」ようになったと言ったほうが正しいかもしれない。スマホを向けると、すかさずポーズをとる。ちなみにお気に入りのポーズはピースサインではなくて、両手でハートの形を作るポーズ。今時だ。誰に教えてもらったのか。謎。


もちろん、それはそれでとてもいいことだと思っている。何かを直してほしいという気持ちはまったくない。

でもふと昔の写真を見返すと、まだカメラの存在なんて知らないような頃の娘がそこに写っていて、その「無意識さ」の魅力にあらためて気づかされる。

 

そんな時に久しぶりに思い出したのが、川島小鳥さんの写真集「未来ちゃん」。

未来ちゃん

未来ちゃん

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当時付き合っていた彼女が写真好きで、たまたま教えてもらって面白いなと思ったのがこの写真集だった。写真にも興味がない20代前半の僕にとって、未来ちゃんの日々の様子、普段の様子を切り取った写真はどれも印象深いものだったから今でもよく覚えている。

 

写真家の川島さんがあとがきか何かで僕が今感じていることと同じようなことを述べていたように記憶している。被写体(未来ちゃん)がカメラを意識しない、または慣れていないことについてだ。

ほとんどの人は、カメラを向けられると意識する。ポーズを取ることはその典型。

今の長女はまさにそのカメラを意識し始めたタイミングということになる。

 

 

今、長女はカメラを向ければしっかりとポーズを決めてくれる。でもそのぶん、こちらとしては「いかに自然な瞬間を撮るか」という視点で写真に向き合うようになった。

撮る側の技術や工夫が必要になってきて、こちらの腕が試されているような感覚だ。これはこれで面白いし、成長の証でもある。喜ばしいことなんだろう。

ただ、うまく言語化できないのだが、寂しいなと感じることもある。ネガティブな感情ではないのだけれども。

 

できることなら、ほんの少し前にあった無意識の状態の写真を撮れたら嬉しいなと思うことがある。

娘の成長は嬉しく思うのだけれども、そんなことをしみじみと感じる。

終わり。

 

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↑七五三のお参りにて。アインシュタインばりの舌出しをしている長女。これはこれで面白いから良いんだけど、その格好ですることではないなw