以前こんな記事を書いた。
たまにこの本のことは思い出して、大事だよな、と思っている。
が、その実践、つまり友人との関係を続ける努力の実践はなかなか難しいよな、と思っていた。そんなに深刻に考えなくても良いなと思いつつ、その認識こそがこの本で述べられている男が孤独死することと関係している。
男性は往々にして、幼少期の制度化された環境の中であたりまえに作り出せる友情から、成人期に獲得する、努力の結晶である友情への重要な移行に失敗している。その失敗は、自殺率、離婚率、そして友人の少なさに表れている。なぜ彼らが失敗するのか。それには、いくつか相互に関係したプロセスがある。
男たちは、小学3年生の幸せな頃のように、友人関係は常にわずかな努力で用意されると思い込んでいるようだ。
引用:男はなぜ孤独死するのか
それでふと思いついたんだけど、SNSちゃんと使えば良いのでは、と思った。会って話すことはなかなか難しいことが多いけど、SNSを通してゆるく繋がっている状態にはできるな、と。
僕が利用するSNSは、X、Facebookだった。Xは投稿もよくするし、直接の知り合いも多い。Facebookは仕事の知り合いも多いし、昔からの友人も多い。が、投稿は年に数回。
Instagramはアカウントは持っているけどほとんど利用することはなかった。2012年には利用をはじめて投稿もしていたが、当時はあまりその楽しさを見出せず放置していた。
ただ、ふと見るとInstagramの方は、Facebook上で繋がりのある友人ばかりではあるものの、その友人たちも多く投稿していることに気づいた。家族のこととか普段の生活の様子とか。みんな元気そうだな、よかった、と思いながら見ていた。
それで気づいたんだが、僕もInstagramに普段のことを投稿していけば友人ともゆるく繋がっている状態にできるのでは、と思った。
そこでSNSの利用を以下のようにすることにした。
- X
- 今まで通り好きに投稿する
- 主に仕事で知り合った方とかXでも繋がってる友人とのやりとり
- Facebook
- 今まで通り、プライベートや仕事関係での大きな共有があるときに投稿
- 主に地元の友人や仕事関係の知り合いへ幅広く共有したい時に利用
- Instagram
- Xでは繋がってないけどFacebookで繋がってるような地元の友人とのやりとり
- Xとは違い、ちょっとInstagramぽいきれいな内容になりそう
SNSの利用は難しい。最近SNSの運用をやめる方もちらほら見かけているが、気持ちはよくわかる。
ただ、うまく使えばやはり人生楽しく過ごせるようにも感じた。それが難しいわけだけども、しばらくこの方針でSNSと付き合ってみようと思う。まあでも直接会う機会がある友人とは積極的に食事など行くようにしよう。やっぱりそれに勝るものはないし。以上、終わり。
↑先日10年以上振りにInstagramに投稿した写真。これ以降、ちょいちょい投稿するようになった。そのおかげで旧交を温めることができて、Instagramすげー、と思った。