実は僕は一度だけ小説を書いたことがある。10万字程度で、Web小説、というかカクヨムに投稿した。
書いた理由は大したことなくて、カクヨムがリリースされたのを見て、試しに書いてみるか、と思ったことだった。たまにカクヨムを見るとほんのちょっとアクセスがあったりして、嬉しくなる。
さて、そんなわけで一回小説を書いてみて思ったことがある。このあたり。
- 小説書き続ける、て無理ゲーでは?ネタなくない?
- 歴史小説てどう書いてるの?
- SF小説てどう書いてるの?
一つ目については村上春樹のエッセイを読んで理解が進んだ。あくまで村上春樹の場合の話なのであれだが、ネタがないことからそもそも始まってる、ていう元も子もない話がされててなかなかおもしろかった。
そして今回戦国武将を推理する (NHK出版新書 717)を読んで、前々から疑問だったことの一つの話しを聞けた。嬉しい。
結論から言うと、スッキリしたけど、こりゃ相当好きでないと書けないな、すごいな、と著者含めて歴史小説家の方々を尊敬した。僕にはできない。
この辺の話が一番知りたかった。
歴史学者の場合はそれでも史料に拠らねばならないが、作家はそれに比べて気楽なものだ。極論、本能寺の変で信長が死ななかったように描くことすらできてしまう。もっとも、突飛な話にし過ぎては、読者が興醒めしてしまうかもしれない。そのためには対象となる人物や時代を良く知らねば、こうではないかという想像すら思い浮かばないのだ。
仮に物証はなくとも、行動パターン、過去の経歴、身体的特徴などさまざまなものから人物像の輪郭を限りなく明確にしていく。いわば、それは歴史上の人物のプロファイリングである。私は小説を書く過程において意識して、あるいは無意識でも必ずしている。
小説の書き方もそれぞれだろうが、よくあるように小説のあらましだとか、登場人物のキャラクター設定とか、そういったことは多分多くの方がするのだろう。それでいうと、この歴史小説を書く際には史実を参考に歴史上の人物をプロファイリングし、人物像を仕上げていくわけか。
いや、すごすぎんか。というか、好きじゃないとできんな。
歴史も好きで、さらに小説も書けるてことだろう。すげーよ。
でも、著者の幼少の時の話しを見ると、なるほど、こういう人が歴史小説書くようになるのか、と思った。
『真田太平記』全巻を買って貰い、 40日足らずで一気に読破したことは、さまざまなところで語っている。確かに歴史小説に没頭したのはそれが切っ掛けだと思うが、思えばそれより前に歴史は好きだったように思う。
著者は大津在住?のはずで、近くに住んでるようで、関西だとニュース番組にもゲストで出ている(news おかえり|朝日放送テレビ)。それを見て、経歴にダンスインストラクターとあったので、
"ダンスやってていきなり歴史小説書ける?まじ?"
と思ってたけど、それは違った。ダンスもしてたけど、歴史も大好きな人、ということか。
というわけで、面白い本だった。なんか、僕はこういう作り手の方が何を考えてものづくりしてるかを知るのが好きなんだよな。以上、おわり。