TL;DR
英語ヒエラルキー、素晴らしい本だった。
娘の英語学習どうするか、改めて考える機会になったし、EMI実施学部の状況踏まえてどうするか解像度が上がった。
はじめに
まず、感謝を。著者である佐々木テレサさん、および佐々木さんからインタビューを受けた同級生の方、そして指導教員の福島先生の経験を含めて書籍として形にして共有いただけたこと、本当に素晴らしい知見の共有だと感じた。ありがとうございます。
EMI実施環境における英語ヒエラルキーの存在とその影響
本書はEMI実施学部における著者の経験から、その実践時の課題提起と改善案を示している。なおEMIとは以下の通り。
EMIとは「 English-Medium Instruction」の略で、人口の大多数の母語が英語ではない国や地域で、英語を使って教科を教えることである。
個人的に本書を読んでよかったことは、第二外国語を学ぶ過程における母国語に対する不安に関する文献を読めたこと。そして、EMIを実践する環境における学生の葛藤を知れたことにある。さらに、インタビュー形式で、ナラティブにまとまってるのも生々しくてよかった。
英語が得意な人が母国語に対し不安を持つという話は、大学時代の経験からその難しさも含めてある程度把握していた。それは、僕が大学時代に帰国子女の知り合いがけっこういたことによる(たまたま帰国子女が比較的多い?学校だったように思う、僕の周囲に多かった、ということかもしれないが)。EMIを採用している学部があって、という話ではないので、そういう意味では少しズレてるが、帰国子女の友人が悩んでいた事柄はまさに本書で書かれていることそのものだった。
そんなわけで、なんとなくこの不安の問題を知ってはいたから、以前から興味があった。興味というのは、からかうとかそういうつもりではもちろんなく、語学が得意な人はどういう世界で生きているんだろうか、という大袈裟にいうとそんな感じ。それで、本書で著者が友人たちにしたインタビューを見ると、なかなかハードな環境であると知った。福島先生の解説が非常にわかりやすい。
EMIの教室でも、「ことばができない」ことよりも、「ことばができないやつ」と、思われることのほうが辛いのではないだろうか。他人から「できないやつ」と映るその姿は、自分が知っている自分と大きく異なる。
だいぶはしょるけど、つまりこれらが積み重なって、EMIを実践する環境には英語ヒエラルキーが存在する、ということ理解でいいと思う。大学入って、こういった状況になることは18、19歳の学生にとっては人生観が変わるくらいの衝撃だろう。書籍内でも述べられているが、EMIを採用する学部に行くような学生はもちろん語学力に自信があるわけだし。そのショックは相当だろう。転部を考えた、というインタビューのやり取りがあったが、それも理解できる。それほどのショックだろう。
年齢を重ねると、こういったショックとの付き合い方は心得ていることもある。でも、若い学生にとっては本当に苦しいはずだ。著者の佐々木さんのEMIに対する課題提起のきっかけとなった原体験はこういったところにあるのだろう。
娘(2歳)の第二外国語習得、どう考えるか
ここからはだいぶ個人的な話。
この本を読んでいて、気づいたら途中から娘の英語習得どうしようかなと改めて考えながら読んでた。これに関しては福島先生が明確に述べていて、同意見だった。
複数言語使用者は、全ての言語レパートリーで、「話す/聞く/書く/読む」の全ての技能について、高い能力を身に付ける必要はない。人間の時間と能力のリソースは有限であり、選択が必要である。映画が好きでない人が、スラングを含んだ英語を聞き取る練習に時間を費やすのはもったいない。
僕は仕事柄、ソフトウェア技術関連のドキュメントは普段から英語で読むし、論文も英語で読む。英語を話すことは少ないが、チャットで同僚と英語でやり取りすることは日常茶飯事。ここまでは問題なくできるけど、話す方はというとまだまだ努力したいところ。でも僕のリソースも有限なので、複数言語使用者としてはこの程度で割り切っておくくらいが心の平穏も保てる。あとは趣味として、英語を学ぶことと楽しむくらいでちょうどいい。
さて、娘の英語学習はどうしたらいいものか。今のところ、
- 日本語をまず大事にすること、英語はあとでもいい
- 英語アレルギーにならない程度に英語に触れ合うのはいい(ex. 英会話クラスで遊ぶ程度)
- 可能なら中学または高校あたりまでには語学留学してみる(ただし、文化の違いを見るくらいでいい)
ていうことは考えてて、奥さんともなんとなく認識を合わせてある。というのも、英語の絵本とか歌ともっと触れ合った方がいいか、というような話を以前奥さんから相談されたことがあって、その時にそれよりまずは日本語が大事だよ、という話をする中でこれらを共有した。
(脱線するが、たしかそもそものきっかけは、娘がおもちゃを使いながら覚えたキラキラ星の英語バージョンをえらいネイティブに歌っていたことだった。子供はやっぱすごいんだな、と僕は見て思ってたくらいだったが、奥さんは、この子にはもっと英語を勉強させた方がいいのかな、と真剣に考えていた。まあほんとにネイティブの発音だったから気持ちはわからんでもないけど、中長期で考えて日本語力が大事だから不要、という説明を丁寧にして我が家の英語学習の方針は上記になっている)。
本書を読み、少ない僕個人の経験も踏まえると、EMIに多少の改善は期待したいがそれでもEMIを採用する学校は娘が選択する一つの選択肢にはなると考える。それは福島先生も述べている。
まず、英語の習得の面から考えると、前述のとおり、 EMIは非常に効果的であると考える。外国語学習に必要な十分な量と質の接触が保証され、国内の大学で外国語を習得するには理想的な環境であるといえるだろう。教室には、留学生や帰国子女がいて、モノリンガル環境で育った純ジャパも、大学の授業や生活で必要な英語のレベルを、身をもって体験できる。
書籍の中で何度も書かれているような英語ヒエラルキーをどう教育システムの中で軽減し、学生のアイデンティティ、というかもう一歩踏み込むとメンタルヘルスの話になると思うんだけどそこのケアをするかは気になる。だとしても、EMIは親として娘の進路の選択肢にいれる。
ただ、それでも僕が思うに、
- 純ジャパなら日本語力を大事にする
- 自身の専門性に加えて、英語力をつける
ということを親として娘には伝えたい。これらを踏まえて、EMIが娘の進路の選択肢に残ることも十分ある。本書で佐々木さんが述べているように苦しい状況に追い込まれる可能性があることはわかってはいるが、語学に向き合い、それでコミュニティに入っていくと、本書で述べられてる辛さとは向き合うことになるはずだから(偉そうに言いつつ、僕個人はここまでの経験はまだしたことはない)。
娘が社会で活躍するような時代がどうなってるかはわからない。でも、本書で書かれているEMIの実情も踏まえて、サポートできればと思う。好きな選択肢を選んで欲しいと思いつつ、先人たちの知恵を借り、困難と向き合ってほしい。英語もまあそのときの困難と向き合うためのツールに過ぎないはず。専門性x英語力、てのが大事だよ、ということを伝えていきたい。
おわりに
白状すると、第一部を読みながら、全体的にツッコミどころが多く、読むのをやめようかと思いながら読んでいた。念のため書くと、これは著者が感じる日本語への不安や自信の無さを読みながら感じたからではなく、よくある学生や新卒社会人の書いたレポートを読む感覚を受けたからだ。新書になってるわけだし、もう少しなんとかならなかったのかと感じていたのだが、扱っている話題は興味はあったので緩急つけながら読み進めた。そして、第一部のおわりを読んでいろいろと合点がいった。さらに、続く第二部を読んで、これらが書籍全体で意図していることのように理解した。
第二部で指導教員の福島先生が、書籍執筆後に佐々木さんと食事をした際の話を書いていた。そのシーンを回想してコメントしている段落を読み、佐々木さん含め、佐々木さんの同級生の方々も素晴らしい環境で学んだんだろうと思った。福島先生が述べているように、苦労はあっただろうが、これからは手持ちのカードでうまく困難と向き合っていけるんだと思う。大して年齢差もないので偉そうなコメントだけど、たぶん一回りちょいくらい年上のおじさんからすると、僕も福島先生と同じ印象を持った。むしろ、これからの活躍がすごそうだ、と思うくらいだ。
素晴らしい課題提起の詰まった書籍でした。さらにいうと、第二部の福島先生の話を読みながら、温かさも感じたくらいでした。ほんわかしました。改めて、素晴らしい知見の共有ありがとうございました、参考にします。